なぜ子どもが欲しいのか?
考えたことありますか?夫婦で話し合ったことありますか?
妊活・不妊治療中の方・夫婦は、一度は、自分に問いかけたことがあるかもしれません。
今日は、なぜ子どもが欲しいのかという問いについて、私が考えたことをまとめました。
その①「子どもが欲しい」という気持ちに理由が必要なのか⁈
そもそも、子どもが欲しいと思うことに理由が必要なのか⁈
もし、不妊症でなかったら、苦労せずにポンと子どもを授かっていたら、「なぜ子どもが欲しいのか」という問いを突き詰めていただろうか⁈
私は、子どもが出来ないからこそ、「なぜ子どもが欲しいのか」を、考えているのか…⁈
「なぜ『なぜ子どもが欲しいのか』を考えるのだろう」この問いの意味はなんなのだろう…。
こんなことを考えていました。
子どもが欲しいと思うことは、私にとってごく自然なことでした。何か理由があって、子どもが欲しいと思ったわけではなくて、愛する人がいて、その人との家庭を築きたい…自然に湧き上がる欲求、希望。動物としての本能でもあるのかもしれません。
ごく自然に湧き上がった欲求、希望であった「子どもが欲しい」気持ちに、「なぜ」と、考え始めたのは、不妊治療がうまくいっていない時でした。
私にとって、この問いの意味は、「子どもがいなくても幸せだよ。子どもがいない人生も良いじゃん。」という気持ちに、自分を導くための問いだったのだと思います。
子どもが欲しいことに理由はない。自然と湧き上がる望み。
じゃぁ、
そこまでして子どもが欲しいの⁇
子どもが出来ないことが、なぜそんなに悲しいの⁇
どうして子どもにこだわるの⁇
そんな風に考えてみることにしました。
その② そこまでして子どもが欲しいのか
不妊治療を考え始めた頃、「そこまでして⁇」という葛藤がありました。不妊治療は、自然に逆らってるような、人工的なような、そんな偏見、先入観がありました。
だからこそ、「そこまでして」子どもが欲しいのかなと、考えました。その発想自体、不妊治療に失礼ですね…
しかし、その当時は、
毎日毎日、服薬・注射をしてまで…⁇
副作用に苦しんでまで…⁇
高い治療費をかけてまで…⁇
仕事を減らしてまで…⁇
麻酔をしてまで…⁇
そこまでして、子どもが欲しいの⁇
と、考えました。
そして、私がいきついた結論は、
そこまでして子どもが欲しいのではない。そこまでしないと子どもを諦められない。そこまでしないと後悔なく夫婦2人の人生に進めない。ということでした。
子どもがいない人生になった時、後から、「もし、◯◯してたら、子どもが出来てたのかな」という思いを残したくない。思いを残さず、気持ち良く夫婦2人の人生を生きたい、と思いました。
その為には、やれるだけのことをやっておくことが必要だったんです。その「やれるだけのこと」が、私たち夫婦にとっては、体外受精まで、でした。そこまですれば、夫婦2人の人生を楽しめるという思いでした。
「やれるだけのこと」が、どこまでなのかは、夫婦それぞれ。
その③ 子どもが出来ないことが、なぜそんなに悲しいのか
本来、夫婦に子どもがいないことは、悲しいことではない。
もちろん悪いことでもない。
では、なぜ悲しんでいるのか。
何を悲しんでいるのか。
「子ども」が出来ないからではない。子どもがいることで得られる幸せが、得られないから。当たり前に得られると思っていたものが、得られないから。
当然子どもが出来るものと思っていた。
周りは当たり前のように子どもが出来てる。
母親になるはずだった自分。
描いていた賑やかで幸せな家族像。
そういうものが手に入らない悲しさ。思い描いていた幸せが手に入らない悲しさ。
「子ども」が欲しいのではない。「子どもがいる幸せ」が欲しい。
子どもがいる幸せ・夫婦2人の人生の幸せ。それぞれの幸せがある。子どもがいるのと、いないのと…人生の楽しみが違う。味わい方が違う。それだけのこと。
もともと思い描いていた幸せを描きなおせば、その幸せは手に入る。そう思い至りました。
その④ どうして子どもにこだわるのか
不妊治療のやめどきがわからない…そんな時、なんでそんなに子どもにこだわってるのか。子どもがいなくてはダメなのか。
自分の欲求不満、不全感の代替に子どもを使ってるのではないか。
と考えました。
満足できない自分の人生を、子どもで満たそうとしてないか
仕事からの逃げに子どもを使っていないか
夫婦関係の希薄さを子どもで繋ぎとめようとしていないか
母親になることで、自分のアイデンティティを確立しようとしてるのではないか
自分の不全感を子どもを育てることで完成させようとしてないか
「子ども」にこだわってるのではなく、「子どもがいる自分」にこだわってるのかもしれない。子どもがいることで得られる自分の充足感を求めてるのかもしれない。
自分で自分を満たそう。
そう考えたら、不妊治療をいつやめてもいい、そんな気持ちになりました。不妊治療を全うしようという気持ちにもなりました。
以上、なぜ子どもが欲しいのか、について、私が考えたこと、でした。