今回は、妊活・不妊治療の最初のステップ「自力で妊活」の頃の事についてまとめました。
まずは、、、
遡る事、25年。
初潮が来たのが、小学6年生になったばかりの時でした。その日、朝、私を起こしに来た父が、バッとめくった掛け布団を、もう一度、バッとかけ直しました。その時、布団を「汚している」のを発見したのですね。
そこから、数十年。
だいたい30日から33日周期で、毎月、生理がきました。人と比べる事は出来ませんが、量や何かは、おそらく普通。ただ、毎月、生理痛の腹痛があり、1日目から、酷い時で3日目くらいまでは鎮痛剤を飲んでいました。その他は、生理前の肌荒れ、むくみ、食欲増加、情緒の不安定さがありましたが、日常生活には支障がない範囲。
たぶん、この頃から、冷えの体質だったと思います。
妊活を始めるまでは、基礎体温を計った事はありませんでした。生理痛が酷くて、一度、婦人科に行った事があったかな。治療や処方は受けませんでした。
そして、時が過ぎ、、、
32歳で結婚しました。
入籍して半年後に新婚旅行を控えていたので、それまでは、子作りせず。
新婚旅行から、子作り解禁。
あの頃は「ハネムーンベイビーもあるかもーーーーー♪」なんて、のんきな事を言ってました。笑
子作りを解禁してからは、「妊活」というほどの事は何もせず、「する事してれば出来るでしょ」という感じで過ごしていました。
ただ、私達夫婦は、その「する事」が、「あって月1回」くらいのペースだったので、その1回をどこにもってくるかくらいは意識していましたね。
やはり、のんきだったこの頃は、ちょっとでも、体に何か変化を感じると、「おっ、できたかも!?」とか思って、ひたすら「妊娠超初期症状」を検索して、「これだー」なんて、心を弾ませては、生理がきて、現実に戻る、の繰り返しでした。
子作り解禁して、半年くらいが過ぎた頃から、
「そう思うようにはできないもんだなー」と思い始めました。それでも、子作り解禁して、1年間は病院に通わずに自分で頑張ってみようと思っていたので、病院には通わず。
基礎体温を計って、より正確な排卵日を把握して、その日を狙うようにしました。この頃も、やはり「月1回(頑張って月2回)」でしたし、プレッシャーがかかるとタイミングを持てない時もありました。そこで、リビングのカレンダーに☆マークをつけて、夫に、子作り日を知らせる事にしました。直接言われるより、プレッシャーが少ないとのことで。夫はそのカレンダーを見て、自分なりにコンディションを整えていました。
いよいよ、子作り解禁して、1年経っても授からず、検索ワードが、「妊娠超初期症状」から「不妊症」に変わりました。通院を考え始めたので、基礎体温表をつける事にしました。ホットヨガに通い始めたり、長めに入浴したり、体が温まりそうな事も増やしました。
この頃から、少しずつ、子どもが出来ない事に、悩むようになっていました。
「なんでできないのかな」とあれこれ、検索しながら、考えたり。「またダメなんだろうな」という気持ちで子作りする事もあったり。夫婦お互いに、子作りへのプレッシャーが増していたり。通院しようと思っている事を夫に伝えるタイミングにも慎重になったり。
「年明けたら、婦人科行ってみよう」と決めて、年末を過ごし、夫にも「来年の抱負」の1つとして、伝えたんだったかな?!夫の反応は、「そうなんだぁ」くらいなもので、この時の夫は、私以上に、まだ楽観的で、「いずれ出来るでしょー」という感じでしたね。
というわけで、子作り解禁から1年余り、子どもができる気配は全くなく、いつも通りの周期で順調に生理が来ていました。
そして、いよいよ、病院に行くことになります。
続きは、次回に、、、。